ウツギの唐突なる書箱

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鑑賞『レッド・ドラゴン(吹替版)』~小さな掛け違いが造り出したIFの世界

 

レッド・ドラゴン [DVD]

前置き

というわけで小説版『レッド・ドラゴン 決定版』、『羊たちの沈黙』読破に続き、映画版を鑑賞してみた。

 

私は映画館での上映中盤になると、集中が続かなくなり「早く終わらないかな……」と考えてしまうタイプである。自宅での視聴ともなると、途中に何度別の作業を挟むやらわからぬのが常だった。

しかし昨今マルチタスクの害があちこちから耳に入ってくるので、できるだけ集中して一気見した次第である。

 

感想

繊細なアレンジ

幸いこの映画は原作と同じく緊密な構成で、さらに120分に納めるためにメインラインから外れるエピソードは容赦なく削がれており、視聴が苦にはならなかった。

 

原作との差異が悪い意味で気になることはなく、むしろ新鮮に感じて楽しめた。

ストーリーの改変ポイントを大きくまとめると、

①映画というライトなエンタメとして、難解なメッセージ性を捨て、満足感を得やすい展開に再構築してある

ハンニバル・レクターシリーズの三作目として、博士の出番を増やしてある

この2点がおそらく原則か。

 

ライト層向けになってはいても、見ごたえ・読みごたえが失われてはいなかった。

仔細な情報をざくざくカットしつつも、演技や映像の雰囲気といった非言語的要素によって、小説版レッド・ドラゴンにある「格式」を保っていたように思う。この作品はきっと、念入りな微調整を重ねに重ね、繊細な美食のごとく仕上げられたのだろう。

 

原作との差異 

気づいた変更点を具体的にリストアップすると、

  • グレアムがレクターの正体に気づくエピソードが映像化された(原作ファンが一番ワクワクした部分では?)
  • ウィリーがモリーの連れ子であるという設定がカットされた
  • グレアムの年齢設定が若返った(「若き捜査官」と呼ばれる)
  • グレアムとレクターが対話を継続し、有益な情報を引き出した
  • ダラハイドの出生エピソードが大幅カット
  • ダラハイドとレバが出会うエピソードのタイミングが早い
  • 電力会社員のフリをして現場を下見したエピソードがカット
  • 遺族(ドラ息子)のもとに証拠フィルムを取りに行くエピソードがカット
  • ラウンズの恋人、葬儀シーンがカット
  • 「竜」のセリフ全カット、存在を匂わせるだけに
  • 偽装自殺シーンでダラハイドがガソリンを撒いてから火を点ける
  • アメリカ映画特有の爆発炎上
  • 偽装死体がガソリンスタンドの大男からラルフに変更
  • グレアムと妻子の不仲エンド回避
  • 自宅襲撃時のダラハイドが錯乱していない
  • ダラハイドが不意打ちをしなかったためグレアムに作戦を練る機会が生まれ、勝利に繋がった
  • モリーが錯乱しない(正確に頭を射抜く腕前は原作どおり)
  • 不仲エンド回避(大事なことなので2回言いました)
  • 羊たちの沈黙」へ繋がるシーンからのエンディング

 

人物設定を最も大きく変更されたのはグレアムだったろう。原作よりも若く勇敢で、レクターともしっかり向き合っている。

何よりラック(運)が遥かに良い。というか原作の巡り合わせがハードモードすぎるでしょう……

ついでにハンサム度も2割くらい上がっていると思う。(原作では精悍だがハンサムではないと評されていた)

 

ルックスの話など

レクターのルックス・年齢も原作の描写と異なるが、グレアムと同じ青い瞳にしたのは映像的に正しい選択だったと思う。二者間の暗示的なものを感じさせて大変良かった。

ちなみに私は原作版レクター博士をこんな感じでイメージしている。

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歳を食った顔(40代だったか?)が描けないのはご愛嬌として、

・小柄 ・栗色の目 ・赤い眼光 ・極端に色白 ・赤い唇 ・目の間に垂れるくらいの長さの黒髪 ・端正

という描写を押さえたらだいたいこんな感じなんじゃないだろうか?(本当に最低限押さえただけである)

 

映画の話に戻るが、ダラハイドが想像以上にイケメンだったのにも満足である。吹き替えの声もすばらしく美声で……いいのか!? こんなに美しくていいのか!? 

原作では口髭を生やしているという描写があったが、口唇裂の跡が視えるほうがわかりやすい。

また、原作では大腿部にのみ竜の尾の入れ墨が入っていたが、それを背中側全面に広げたのもインパクトのあるアレンジだった。

 

原作でレバとダラハイドが一夜を共にした後、レバの手の平が入れ墨に触れていたのをダラハイドが口の上へ置き直す描写が大好きだったので、欲を言えばあれを映像で観たかった。

ダラハイド側の心情描写がだいぶ削られたのは、彼を悪役らしい悪役たらしめ、あのグッドエンドへ運ぶための取捨選択の結果だろう。

 

レバは想像していたほど美人ではないなあというのが正直な感想だが、これは私とアメリカ人の美的感覚が異なっているのだろうか。

目をカッと開き続けているのではなく、閉じ続けているイメージがあったための違和感もある。

 

ダラハイドとグレアムの結末 

「竜」のキャラクター性が希薄になった分、ダラハイドはしっかり自律した悪役になっていた。グレアムへの報復意図も明白だった。 

 

自宅襲撃シーンでグレアムがダラハイドのトラウマを利用するのは、非常にナイスなアイデアだったと思う。

奇襲を受けなかったゆえに可能になった作戦だが、仮に原作グレアムが同じ状況に置かれたとしても、果たして映画版グレアムほど勇ましい(そしてえげつない)行動が取れるだろうか。

あの冷酷ともいえる発想は、映画版グレアムの精神がレクター博士に「寄っている」ことの証左のような気がする。

 

主人公たちが原作に比べて遥かに格好良くなったぶん、悲惨さは薄まったが、もしもあの物語がグッドエンドに至るとしたら、こういう形だったのだろう。

小さな歯車の掛け違いが重なり、結末に差を生み出した。こういうグッドエンドの可能性が存在したのだと、素直に受け容れることの出来る映画版だった。

 

あの情け容赦ない原作を読んでいたからこそ、家族との暮らしを取り戻したグレアムの姿に、一層救われた気持ちになったのだった。

 

2019.06.08  改訂2019.06.09

 

 

追記

ブラックユーモアがしばしば挟まれた原作だったが、映画版のほうで一番笑ったのはラウンズの火だるまカートである。

原作で読んだときには犯人の発想のおぞましさにおののいたのだが、映像化されると想像以上にシュールだった。

 

ほかに笑えたのは、ダラハイドの屋敷がアクション映画よろしく爆発炎上するシーンだった。人間は炎が派手に上がるのを視ると笑ってしまう生き物なのかもしれない。